はじめに

2018年6月4日 最終更新 ・ 赤枝 進一

 

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赤枝進一はヒョンなことでブログなるものを始めることにした。紀貫之が「おんなのすなるにき」と言った程度に,私は自分がブログをすることになるとは夢にも思わなかった。理由は2つある。自分に時間がないと思っていた。そしてもうひとつは,自分のことを語ることにあまり価値を見いだしていなかった,という点である。いや,時間は作るものだろう。そして,私ができるだけいま書けることを残しておきたいのは,やはり,一般的な書く動機と同じく,抽象的にも思われるかもしれないが,「不安」な感じがするから。不安にはカタルシスが必要だ。そして不安は書き手にとってもっとも美味しいペーソスである。 

私は小学校の頃から実名で発言することにこだわっている。だいたい,私が小学校にいたころというのは2000年代。あだ名で呼ぶことは禁じられた。ただ他者に強制するほどではないとも思う。名前にコンプレックスがあったり,昔は字画や名字との相性によって改名する人もいたりしたくらいだから,親の命名に感謝しなさいといった,奢った態度はとれない。快い,と判断できる名前を一貫して使うのであれば私は立派なことだと個人的ながら信頼している。 

即ち,わたしはできるだけフェアで気品ある意見発表の方法を長らく探していた。ながいことツイッターをやっていて,やはりそうとう荒っぽい喧嘩に何度も直面した。だいたい喧嘩をふっかけてきたのは匿名でアイコンに旭日旗をつけているような人だったけれど,私はかなり頑張って言い返していたほうだ。なかなか難しいが,このブログではコメント等で性,性的傾向,障がいの有無,国籍,人種,身分,身体的特徴,出生地などで差別することを禁じたい。ブログでは対等な人間という立場でものを言いたい。そういう前提がなくてはそもそも言論の自由なんて生まれないだろう。

このブログの制約を述べた。この「縛り」というのは,大事なことだ。縛りがなければクリエイティヴとは言わない。ボールが1つあって,友だちが5人集まったとする。自分も含めて6人で何をして遊ぼうか。フットサルか,バレーボールか,ドッヂボールか,それは話し合いによって決まること。そして種目を決めたらルールには従う。このブログも開設当時である現段階ではただのボールである。そしてこのスポーツマンシップの宣誓を大前提として,少し種目を追々考えたい。

 

いま考えているのは次のメニュー。

(1)「語学ノート」

私は語学が好きで小学校の頃からロシア語,中学高校では現代中国語と嫌々ながら英語,大学ではドイツ語とラテン語,そしてなんというか不思議なのだが,いま大学院では古典ギリシア語の文献を一番扱っている。単語や文典暗記ついでに,すこし語誌や文献の話をしてみたい。わたしは翻訳家でも大学者でもないのに大仰な気もするが,好きなんだから仕方ない。語学にかんする小話も恥ずかしながら披露したい。

とくに私は四年間(2018年現在)もアメリカに遊学している。入学当時は,情けない英語だった。そして,多くの日本人の留学生にとって,はじめの一年間は数学と語学は救いの単位となることにちがいない。実際,わたしの卒業戦略においてドイツ語とラテン語の基礎課程は重要な役割を果たした。ひとつ目には,外国語は現地の英語話者とも張り合える科目の一つということ。数学や理科系の科目にも言える。とにかく,最初の一年間で文学や哲学を履修すると,確実に落第する。ふたつ目は基礎的な日常用語や一般的な言語表現の下地を塗り固めることができること。洗濯機に洗剤を2匙入れて,熱湯洗いに設定してスタートボタンを押す,ということが日本の英語教科書に記述がない。私はこの表現を英独対訳の会話集から仕入れることができた。そして最後に英語で古典語,とくにラテン語を勉強することはオススメの方法である。古代ギリシア語・ラテン語の文学的教養は,英文学の詩歌を読むときに着実なアドバンテージとなる。思い出してほしい。近代日本語(口語)の成立は欧語文献の和訳研究によって増幅した語彙に依ることが多い。それと同じように,ラテン語の英訳練習が英語表現じたいを確実に進化させる。英語の語彙の半分以上がラテン語源という事実も,いかに英語が西洋文明の継承に関わっているかの証拠である。

(2)「宗教学ノート」

現在,私は大学院で,宗教学のなかでもヘレニズム思想をキリスト教史の枠内で学んでいる。ちなみに大学もアメリカのリベラルアーツ・カレッジを卒業しており,宗教学,歴史学,神学,哲学,社会学ディシプリンを深く決めないで濫読した。一応,宗教学の学位を持っているのだが,学部当時もっとも長い間付き合いがあったのは歴史学教室だった。なのに学士の論文はヘーゲル記号論にかんする変な論文で,あまり良い評価ではなかった。何を書いたかって,「経験はいかにして知識となるか」というまっすぐな哲学論文のテーマだったのだが,英語で書いたこともあり,筆力が及ばない。今修士課程でやっているのはおおざっぱに言えば「後期ヘレニズム哲学の経済倫理と初期キリスト教会での受容」。日本の一般的な大学と違うのは,たぶん,学部時代から履修の自由度が高いこととプログラムの非決定性だろう。そのこともあってか,いわゆる学問の作法に無知だったので,大学院入学も試行錯誤の末であった。多少ヒューリスティックだけれど,学問論や読書体験などを記したい。

わたしが学部を卒業したのは先月のことである。ただ,一ヶ月間でやはり,いろいろな情念が湧き起こっている。アイビーリーグのように,そんなに世間的には自慢に値する大学ではないが,卒業には本当に苦労した。特に最終学年になるとまさに「命を削って」卒業したような心地である。私は日本の大学の内情をよく知らないのだが,アメリカのリベラルアーツ・カレッジは一年のはじまりから四年の終わりまで,とんでもない量の課題に追われる。もちろん,私の感覚にとってとんでもないだけかもしれない。一般的な学科の教科はだいたい3単位がもらえ,学生はだいたい一学期間5~6教科で精一杯の課題量である。私が一番好きだった歴史の授業形態を言えば,25%の読書課題(毎回学術書の1-2章分+一次史料の精読)の授業内討論への貢献,50%のショート・ペーパー(5-7ページのものを2~3本),25%のターム・ペーパー(12-15ページ)くらいの成績配置で,これが大体4年生レベルの一つの授業の課題量だろうと思う。4年生はこれを5つするから,一学期間にペーパーだけで150ページ書くことになる。苦労自慢は見苦しいのでこの辺にしておくが,量をこなさなければ効率を考える機会は無くなる。私の拙い英語ながらも,辛抱強く見守ってくれた全ての教授に感謝している。

私はもともと大学では哲学をやりたかった。高校2年生で精神を病み,大学受験もとにかく教科の少ないところをちょこちょこっと,私大の経済学部などを受けたが,あっけなく失敗。当然である。高校なんて本当に狭い世界であって,仲良くしていた人たちが次々と超有名大学に合格すると,やはり高校生なりに自尊心を失うのである。都市の予備校にも半年くらい通った。正直に言えば,この時点で私はいわゆる人生のレールを踏み外していたのだと思う。それは感覚的に言えば,まず最初に自分の人権や身分が失われていく感じである。この時点で十分親不孝だが,予備校の悪質な商売手法(違法性はないが)に感づくと,私は一日中予備校の椅子に座っているだけで倦怠感に耐えきれなかった。だが貴重だったのは,これまた親不孝だが,ジュンク堂書店での読書三昧である。ちょうど高2の終わりに東日本大震災(2011年3月11日)がおこり,日本中の知識人の間で「ヒロシマとフクシマ」というエポック転換が流行していた。そのころから特に,経済学に関する興味が減退したのである。日本は人口も減って経済規模は縮小するのは確実なこと。そして,震災対応で日本の行政や政治はとても脆弱だと思ったこと。やはり,この確実に訪れる日本の政治経済力の減衰をまともに受けるには,データサイエンスでは耐えきれないだろう,体系的に哲学などの人文学などをやって,解釈の問題として捉えないといけないだろう,と,学問的興味の方向転換をしたのである。

その体験と自分の高校生活の体験とを交え,アメリカの大学に手紙を送り続けた。これは無謀なことである。日本ではやはり,情報量が圧倒的に少なく,これもジュンク堂書店のおかげなのだが,栄陽子氏の『留学・アメリカ大学への道』(三修社,2010年)という本に出会い,実際に著者の主宰する留学斡旋の個人事務所「栄陽子留学研究所」へ母と一緒に足を運んだ。頻くいわれる語学留学やコミュニティ・カレッジを日本の高校生の進学先に勧めず,大学進学を目指し,そのためにサバイバルの方法を身につけるという方針が実に気に入った。書類を揃え入学審査官に郵送。結果,7校中6校は「英語能力に乏しいので断る」,と言われ,相当落ち込んだものだが,米国南部,ノースカロライナ州の中規模のキリスト教リベラルアーツカレッジから4年間,半額授業料免除での合格をもらい,他の道もなく,入学を決意。

問題はその大学は哲学科がなく,「宗教学・哲学科」,いわば宗教も哲学もそんなに変わりがないでしょうという立場だった。なかには,とても知的とは言えない告解実践,宗教的儀式を教室内で行う教師がいて,日本の公教育に慣れた私にとって心的トラウマになった。アメリカの南部は他のどこの世界の国と比べても,宗教的で原理主義的だと思う。わたしの高校は仏教の宗門学校だったけれど,信仰を強要されたことはない。若気の至りで,「ここは教会ではない。アカデミックなことが大学でなされないのは困る,」と,副学長など数名に自署の私信を送ったが,無返答。そこで宗教や哲学科の教員よりも,一般的良識のある歴史学の先生たちと交流を深めた次第である。そこでの4世紀のユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスを専門にしていた中年の歴史学教授に「思想史」という道がある,と教わり,一対一で集中的に手解きを受けることができた。

宗教学というのは19世紀のドイツの学問的術語(Religionswissenschaft)に始まる,若い学問であり,それに比べ,神学は4世紀以降,歴史学と哲学は紀元前のアテネ全盛のころの学問である。ユダヤ教および中近東の宗教はもっと古い。だが,宗教を学問にしたのは近代であって,そもそも「宗教」と信仰者は気軽に呼ばない。疑いえない「真実」に他ならない。宗教に始めに目を付けたのは社会学者たちである。なぜなら宗教の教団というのは今までで最も続いた組織的社会だからである。国家よりも強靭な組織力を解明したいと,有名な古典的な社会学者はだいたいまず宗教研究に手を付ける。そして,学んでみたなりに思うのは,宗教は国家よりも政治的であり,芸術・文学も引っ括めた文化的総体を表していることが魅力なのである。宗教を学ぶことは本質的にリベラルであると同時に,人間の全知を尽くした探求の軌跡を追うことでもある。声楽や器楽ではなく「交響楽」なのが宗教だろう。いま流行りの「学際性」は昔から宗教が固有に持っていた特徴である。

(3)「心技体ノート」

私は高校卒業後,渡米して米国の大学の正規課程に入学したのだが,精神的にまいって半年で25キログラム太った。高校時代は結構厳しい柔道部にいたこともあり,それなりに精悍な生活だったけれど,やはり文化環境の影響は底知れない。うつ症状も悪化の一途をたどり,一年間休養をとったこともある。経験のある方もいらっしゃるかも分からないが,抗精神病薬というのは本当に体重増加が著しい。病識のない人は軽い気持ちで「怠け癖」と断定するようだが,悪い冗談は止してほしい。深い深い暗穴に落ちていくような心境で,私の場合,日本語も含めて言語活動の一切ができなくなった。読解・発話・聴解・執筆すべてである。あらかじめ病状に個人差があることと私がメンタルヘルスの専門家ではないことを強く断っておきたいけれど,わたしも当事者のひとりとして,今も自己の生活再建に勤しんでいる。現在は主に食事・筋力トレーニングを中心に据えているが,各種ショートコースのマラソンみたいなのにも参加したい。そして睡眠。私は10年以上不眠症に苦しんできたが,やはり頭脳労働に睡眠は欠かせない。ここで,トータルに「生活」を考えなくてはいけない。そして他人と競ったりすればたちまち面白くない。それは私の哲学の主旨の一つでもある。

(4)「教育関連ノート」

私の夢を語ると,大学人になることである。そして,それは教育と研究に生きることを意味する。研究はまあ世間的に言えば個人的趣味と言っていただいて差し支えない。ただ,私は大学教育などの高等教育に携わるのことに一段と責任を感じるのである。とくにきっかけがあったとすれば,日本の高等学校を卒業して,最初の留学先だった米国南部のノースカロライナ州で出会った底知れない経済格差,とくにそれが顕著に現れる教育格差である。別に高等教育を無償にせよと何の根拠もなく言っているわけではない。教育がないとなるとどういうことが待っているのか。はっきり申し上げると,無法地帯での弱肉強食サバイバル生活である。みなさん教育と言うと,学校での学科試験偏差値,一般知能指数,語学検定,学歴,就職先でのスキル取得を思われるのかもしれないが,そういうことは私は気にならない。日本では確かにみな取得に関して血眼になっており,かつ,重要なのかもしれないが,私が気になっていることは基礎的な読み書きの訓練を通して得られる「コミュニケーション」の力である。

だって,考えてほしい。私はまあハッキリとした人文系や社会科学系の専攻だったけれど,大学4年間で学んだ知識は,アカデミアに携わらない限り,卒業後数ヶ月でほぼ消滅する。それはたぶん高校で不得意ながらも必死にやった数学や生物学の知識を大学で全く使用しなかった際にもあてはまるだろう。もちろん知識は認識能力内で暗黙裡につながっているものらしいけれど,やはり,基礎知識のキープは皆の悩みの点でありつづけることだろう。では,なぜ皆とりあえず大学受験をして高校生活の半分の時間を犠牲にしようとするのか。たぶん多くの人が大学卒業を,学部に関わらず一定の社会的信頼の沽券と認識しているようだけれども,果たして,大卒が社会的信頼の規準になる状態はこれからも続くのだろうか。私は社会的信頼規準はひとえに意思疎通のことであると思う。

間違えないでほしいが,大学は就職予備校であるべきだとは一言も言わない。ただ,私が大学の内情を何も知らないアホな一学生として今言えることは,大学で得るべきものは,基礎学力を通したコミュニケーションの鋳型をつくることであって,なにも法律の条文や経済理論を一生覚えていなさい,というふうなことはどだい無理であるということである。そしてもちろん,このコミュニケーションの鋳型はいっさい,アカデミアでも通じる。このノートではつねづね渾渾とする理想論のほかに,方法論の構想を書く。今来のアカデミック・シラバスなどを,私に頂いたものは大切にとってある。とくに情報化社会や人工知能の出現で,リテラシーによる知識階層はより大きく二極化することが予想される。人間が機械を超えて高度な知識を有するか,知識を全く重視しないかのどちらかとなると思う。やはり,何か特定のオーディエンスに対して,機知に富んだ発想を効果的に,フェアに伝達することはいつの世も変わらない学力だろうから,最も教えがいがあるといえばそうなのである。

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いやはや,ブログは無知をさらけ出す勇気がいる。私なりに考えているのは上記の4パターンであり,やはり,ひとりの人間である限り,論点が交錯していくだろう。私も文章を書く訓練の途上にあることをお分かりいただけるとありがたい。今書いていても,中途,不特定多数のオーディエンスが頭を過った。大学や大学院をアメリカで過ごそうという私と同じ境遇の人の他に,思想や哲学,歴史などの人文学が好きな人,語学好き,うつなど精神的疾患の経験がある人,大学教育に一家言ある人などである。とくに留学に関して,私は皆に勧められるものではない。かなりのエネルギーを要するし,国際交流だって好き嫌いあろう。そもそも留学はとくに特別な知識をつけるとか,エリートになるということでは断じてない。日本の基礎科学などのほうが,よっぽど進んでいる。ただ,アメリカなどでは,たとえば歴史や哲学の授業でナショナリズムを講じるのと違い,当事者がクラスに現前しており,学生は知的配慮を行わなければならない機会が多数ある。当然,奴隷制度についての授業で,祖父母に関係者がいる向きは面白くないだろうし,わたしは原子爆弾の国家計画の資料をまざまざとみて,日本人なんて彼らにとっては虫けらのような存在なのか,と悲しくなったこともある。そう,米国に限らず,留学の一番の意義はこの学びの「臨場感」にある。

この臨場感なるものをブログでは私の不器用なボヤキによって最も表現したい。そもそも,日本の大学は学科試験で上位の成績から入学許可が与えられる。そしてそれはフェアなことだと皆が思っている。みな受験するチャンスが与えられているのだから。それには同意する。当然,学科試験で問われなかった音楽的才能,身体的才能はあることはあって,それなりに同好会をやるのだろうけれど,スポーツ一筋の子や映画一筋の子,日本語がまったく喋れないが日本の大学でチャレンジしている人が果たして日本の大学にいるのか。そして,そういう学科試験で問われない努力も学科試験に傾ける努力と同等だといったい何人思うだろうか。アメリカの選抜規準は一言で言えば「おもしろい人生観」「バランス」「多様性重視」である。大学が生徒に対してもっとも応援していることは「自分の打ち込めることを見つけること。」やっぱりそれは入学後の学生の伸びに現れるらしい。卒業率の高い学校ほど学生の多様性を重視していて,そのことで生じるコストをアメリカ社会は惜しまない。いったい何人が,人生の楽しみを大学で見つけることができるだろう。

私の米国の大学生活は実に面白かったのだが,やはりその理由は出会った人々が面白かったことに尽きる。歴史の先生が牧場主で茹で玉子を教室に持ってきたり,歌手活動中の哲学者が公演活動で休講したり,いわゆる「ただの学者」はアメリカのリベラルアーツにはいない。当然,並外れた学問にたいする愛情は基本として,人間的に面白い。55歳からクラシックピアノを始めた古典学の教授は,あえて30代の若いピアノ学の教授に師事して,自宅で私的演奏会をやっていた。さあ,そういう人々を目にして,私はどんな人生を生きようか,と自ずと考えてしまうものである。とりあえず,大学院は競争の激しい修羅場なのかもしれないが,やはり魅力的な大人でありたいものだというのが感想である。そうでないと,だれからも信頼されないだろう。わたしの嫌いな言葉の一つに「リーダーシップ」があるが,やはりその前に人間を磨きたい。その目的にリベラルアーツはうってつけである。

さて,前置きが過ぎた。私の毎朝の数時間で,書けることを書く。ときどき英語も使うだろうが,日本語で書くときは日本の読者を意識している。人生の転換期の底知れぬ不安を随想録として書くことは迷惑千万だが,笑覧くだされば幸甚。何事もやってみなければ始まらない。月10本の投稿,各6,000字以上が目標だが,今までパソコンにどうも疎く苦労するかもしれない。たぶんそれもだんだん上達することだと思う。そうそう,最後に述べないといけないことは,アカデミアにとって最も大切な出典表記。私のディシプリンの都合,シカゴ・マニュアル(CMOSシカゴ大学出版部の出版物マニュアルで,思想や史学分野でのアメリカン・スタンダード)の「脚注/目録スタイル」が一般的だが,リッチテキスト形式にとっては「著者/出版年スタイル」が変換しやすい。とてもよくできたマニュアルなので,例を紹介しよう。本文中,他人のアイデアに拠った場合は,かならず括弧書きで著者の姓,出版年(あれば初版年も付記),ページ数をつける。そして本文末後にアルファベット順の目録を記す。このブログを引用される際もできるだけ,この表記を守っていただきたい。括弧書きで〔赤枝 2018〕を各引用文後に,そして文章のあとに,(例)赤枝 進一,2018年。「はじめに」(『シカゴ窓際見聞記』より)2018年6月4日最終更新;2019年5月3日閲覧。〈アドレス〉。といったふうに記してほしい。形式は問わないので要素を満たすこと。切にお願い申し上げる(この引用方法がなされたならば,別途私に断らなくてもいいです)。

 

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出典:栄 陽子,『留学・アメリカ大学への道』(東京:三修社,2010年)。

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文責:赤枝 進一(あかえだ・しんいち)。三重県四日市市生まれ。三重県津市,私立高田中高等学校で6年間を過ごしたあと,名古屋の予備校に在籍はしていたが,ぶらぶら駅前の本屋で読書に目覚め,たった2ヶ月で大学受験をきっぱり止める。その後,アメリカ合衆国ノースカロライナ州の中規模リベラルアーツカレッジ,メソジスト大学に渡り,宗教学の学位を取得(B.A. in Religion, magna cum laude)。現在はイリノイ州シカゴ大学大学院で比較思想史などを模索中。興味関心はヘレニズム思想,とくにエコノミーにかんする思想。テーマは「経済倫理を神学や哲学的伝統で基礎付ける」こと。

生活の簡潔さについて

著名な社会学者がまず宗教に着目する理由は個人生活のシステムが露わになるからであろう。修道院規則,比丘の戒律など,宗教者が理想とする生活の美が法として定められていて,それが千数百年のあいだ不変な伝統としているというのはある意味で奇跡である。また,その千数百年もの間に裏打ちされた持続可能性は理に適っているというほかなく,人間の組織の強靭さの現れでもある。こういった宗教生活にはだいたい必要最小限度の資源を最大限に使い切る精神が必須となる。ひとりの教祖がこれほどの社会生活を考え抜いたとは言い難く,まさに長年の蓄積と淘汰,あるいは,時代を超えた人間の知恵の宝庫である。

 

まさに3週間前にアパートの家賃をクレジットカードを払ってしまい,先週には予想だにしない急性アレルギー反応で救急病院を無保険で訪れたせいか,限度額を超過してしまい,カードが使えない状態となった。このままニューヨークで10週間暮らす新居での生活を開始せねばならない。手許にある現金は100ドルであって,カードの支払い情報の更新は6日後。私はカツカツの生活をしなければならなくなった。4年間,両親に十分甘えさせてもらったので,私なりに結構追い込まれていたのだ。生活用品を最小限買うだけで,そうとうお金が減るものだ。幸い近所に八百屋と精肉店があるので,なんとか食べる物はありそうだ。残り45ドル(1ドルは現在130円くらいか)。この6日間でなんとか倹約というものを否が応でも学ばなくてはいけないことになった。自分なりにこれは大事な経験だと分かるので,すこし自分の内情を含めて記録しておきたいと思う。

 

さて,まず倹約生活には幾つかの方法があるらしい。先に挙げた宗教的生活はもちろん,人間の必要最小限度の暮らしのエッセンスが詰まっている。私はまず定番のリンゴとバナナと緑茶の3日分を部屋に買い込み,倹約暮らしの知恵を無料のWi-Fiから仕入れることにした。そう,最近流行りなのは「ミニマリズム」「断捨離」といって,物増やさずシンプルに暮らす知恵で,私の友人も結構知っていた。非常にうまく禅の文化の要素を抽出しており感心した。だけれど,私にとって今,捨てる物がそもそもない。これは精神的に非常にいい事実であった。私は続いて,曹洞宗の根本道場である,吉祥山永平寺福井県)の修行の様子を見ていた。彼らの暮らしは確かに非常にシンプルである。ただ,世の中の多くのミニマリストがあまり気にしていない事実があるように思った。それはシンプルな生活の裏にある非常に複雑な作法や規則である。

(1)曹洞禅の道場である永平寺の場合

だいたい僧院の朝が早いのはある程度周知の事実だろう。朝4時に起床の鐘が鳴り,布団をしまい,洗面する。洗面でさえも一杯の桶のぶんの水しか使用できない。配分された水を大事に,顔のどの部分から洗えば効率が良いのかとか,洗面台をきれいにする水がもったいないと唾や痰を洗面台に落とすことも禁じられているとか,その徹底ぶりはすごい。それから6時まで座禅,寝ている雲水(新入りの僧)は警策でひっぱたかれる。その後本堂で朝のお勤めをしたあとに小食(しょうじき・朝飯)として,雑穀の粥,沢庵漬,そして少量の胡麻塩が「応量器」という黒い托鉢器に配給され,全員揃って食べる。そのときに漬け物を齧る音も含め,少しの音響も許されない。食後,白湯が粥の器に配られ,食器についた食べ物を沢庵漬などをつかって拭い,3種すべての器に移し替えつつ,その最後の湯まで綺麗に飲み干す。そのあと必死に清掃活動をし,再び座禅。私には恐れ多過ぎる面があるが,人間のあらゆる美学が詰まっていると直感する。

 

とくに宗教を学ぶ身として見ると,興味深いのはその徹底した規律が醸し出す二重性である。永平寺を訪れるとおそらくその暮らしぶりに驚嘆して,人によっては落涙することもあろう。実際,とても美しいのだ。しかしながら,こういった道場という特別の場にとって,多少の無理は免れない。無理をする空間に一種の「聖」の感覚が宿る。今でこそ,精進料理は寺どうしで競争するほど,栄養バランスが考えられ俗化しているが,昔の映像資料を見ると実にビタミン不足(脚気)に陥っている雲水が多い。私は高校時代,柔道に打ち込んだが,道場というところは他者に弱みを見せたら叱られるところで,それが私が柔道をやめた理由の一つになったため敢えて言うのだが,こういう修行道というのは無理を買ってでもするところに魅力がある。とくに身体のエネルギーを振り絞ったこの種の修行は,現代生活の頭でっかちの矛盾をうまく説明するところから,多くの修行者が惹かれるのかもしれない。ただ,私が気になるのは,現世あるいは俗世からの距離である。実際,娑婆にいる私が修行したら,あらゆる矛盾を感じずにはいられないため,文句を垂れることだろう。修験道に身を置く人々を尊敬し,聖域一帯の文化を尊崇することに変わりはないが,何らかの批判精神が私の中に沸々としたことは別に付しておきたい。

 

(2)南極大陸の調査にかかわる食料資源管理

わたしの場合は非常にこれに近い。南極では限られた食糧を持ち込み,管理して,使い切ることが強いられるという。南極で働く料理人が先日テレビに映っていて,その調理法を解説していた。まずタンパク源としての肉を1-2キロ購入して,また別箇にビタミン源である野菜を入れるという考え方だそうだ。日本では肉は逆に高くつくので,卵や豆腐などを考えれば良い。一週間で4人家庭7,000円で生き延びる方法,という何とも私にとってはタイムリーな番組だった。その料理人によると,その買ってきた肉を一日目に一気に加熱するという。番組では鶏胸肉を買ってきていて,まず身と皮に分け,脂肪分の多い皮の部分でスープだしをとり,肉は簡単な唐揚げなどの揚げ物になっていた。そしてその一日目の晩は揚げ物が御菜になる。残りを真空パックにして冷凍していて,一週間活躍することになる。また,スープだしがかなり万能なのである。トマトを潰して加えればトマトスープ,味噌を入れれば上等なみそ汁になる。野菜はその献立に応じて使い切る。ただ,ひとつ文句を言うと,この7,000円中に米やパン,調味料が入っていなかった。この方法を採用すれば,私は生き延びられない。しかし,「高くてもタンパク源を取らないと良い栄養バランスにはならない」というのは素晴らしい教えである。

 

(3)ドイツの一般家庭の倹約方法

ドイツ人は日本人の2周3周まわった先の倹約家だというので,各種留学生,派遣員のブログを読んで,記憶に残った部分を記しておきたい。ドイツ人の倹約の特徴はややアメリカに共通するのだが,「不味い食事に文句を言わない」というアドバンテージと,先進的な環境政策国として「シンプルな物を最後まで使い切る」という矜持にあると思う。目を疑ったのだが,彼らは朝飯と晩飯に火を使わない食事,つまり冷製のハムチーズ,ピクルスを挟んだだけのサンドイッチを毎日食べているというのだ。こういう固めの食感のパンと加工品をストックしておけば食事が済むというのだから,食費がほぼ定額になる。食にこだわっていてはだめなのか。ソーセージを温めるのもレンジで済むことだし,このソーセージ倹約法はなかなか美味しそうだ。ただドイツやアメリカは日本よりも,肉も野菜も花卉も安価であるということを覚えておいていただきたい。

 

さらに目を疑ったことはドイツ人が「単調な食事,単調な暮らしに飽きない」あるいは「毎日違う物を食べた方が疲れる」といっていた事実である。これはどうも北西ヨーロッパ全域での共通事項らしい。彼らはまた,散歩や登山,自転車を趣味にする人が多いらしい。有給休暇や厳格な定時出社が一般的で,さらに自然を愛するがゆえに,毎週のように家族で出かけられる,というなんとも羨ましい社会である。経済も日本より好況なくらいだそうだが,彼らはプライベートな時間を,勤労時間と同程度に重要視し,住環境に最大の投資をするという。そして衣・食の部分を抑える。プライベートな時間を「ゲミュートリッヒ」(自分が社会に縛られず自分でいられる)と表現する彼らだが,食に関心がない,というのは私には一種の能力とさえ思える。おなかが空かないのか。ただ,運動というのは一つの手段だろう。身体が疲労するとあまり食べられないものである。

ドイツの国民経済と曹洞宗の道場は,社会ルールが非常に多いという意味で共通しているが,一方は徹底的な個人主義的管理,もう一方は滅私的な集団管理という意味で相反する。ただ,倹約というのは「文化的風土」も考慮に入れねばなるまい。ここアメリカで曹洞宗的なことを再現するよりも,ベーコンと卵を食いまくった方が安い。社会を見たときに,どういうものを安く売っているのかという観察は参考になる。ただ,経済的に逼迫した今見るアメリカと,悠長に寮生活をして勉強だけしておけば良かった時代のアメリカとはかなり景色が違うものなのだ。(綺麗事のようで言いはばかれるが)人生経験として重要だ。

ただ,いま何を人間として学ぶべきかというのは,「物」というものが持つ可能性である。今までそんなに美味しいと感じてこなかったピクルスも,いまでは宝石のような輝きを帯びている。緑茶でさえ味わい深い。人間はそれを活かしも,殺しもさえする。たとえば,それでこそ曹洞宗の料理法は非常に奥深く,「典座(てんぞ)教典」という奥義になるほどだ。シンプルな食材の料理法を変化させて最後まで楽しみきる。しかし,この魅力はある程度,経済的に逼迫しているから分かる,というものだ。私はここまでお金に弱いのかと思い知るのは,不甲斐ないきもするが。

 

そして,最後に結論したいのは,私は空腹感を忘れていたということ。そして,空腹というのは,程度の差はあれ,そんなに悪いものではない。私などはとくに,空腹感の欠如は若者として恥ずかしい思いさえする。空腹で眠れないこともあるが,全身がなんとなく温かくなっていることがわかる。私は今まで食べ過ぎていたのかもしれない。そういう発想の転換で済むうちはなんとでも言えるが,数日前の悲壮感はもはやない。体脂肪が燃えてくれたら言うことがないのだが,今はすべての境遇を甘んじて受け入れるほかない。そういう自己防衛本能だけが今は気を紛らわせる安定剤になっている。人生は心音以外,解釈にすぎない。本望の学習意欲に影響しないことを祈る。

人文学に生きるための方法論

私が人文学系の道を選んだのは,いま思えばもっとも自然な選択であったようだが,このことを高校生のときの自分に分からせようとするのは至難といえる。特に,人文学部卒の職種はとてつもなく広い。将来のイメージが湧かないというのは,もはや世界の常識になりつつある。私の高校でも文系の花形は社会科学や法学で,理系でも「手に職を」という動きはこの不安定な世の中でよく見られた。だけれど,たとえ法学や経済学を学んでいても,その知識を活かして生きている人は少数であり,また,文系であっても数学が疎いながらもやらねばならない日がくる。たとえ,歴史学を専攻しても,法学の本や経済学の本は読まないとならないし,逆も然りである。むしろ,文学部のような学部の方が,いろんな学問を自由にできる気がする。たとえば,科学哲学をやったあとに高校物理教科書などを通読した際に,何らかの思想を記述から感じる。ニュートンの打ち立てたプリンキピアを読むと,一種の全能感や恍惚さえ覚えた。法学や物理学などよく体系だった学問は,最初は辛いがとても爽快である。だが,この快感は「専門家ではないゆえ」得られる。もっと摘まみ食いを学部生のときにやっておいたら,と今でも後悔することがあるが,比較的,宗教学部はいろんなディシプリンを跨ぐことができた。神学などは人文学的知ではおよそ成り立たない。神学を聞いていると,思想のエンジニアリングであるとさえ思えることがある。(敬虔さに欠けた表現だと認めるが。)本稿では,自戒の念をこめて,私が耽溺した学部時代の学習スタイルを恥ずかしながらまとめておく。

 

(1)基本的な骨格

 

人文学をやっている者が普段していることと言えば,「読むこと」と「書くこと」である。そう,誰もが学校でやったことがあり,好きな人は会社に勤めても時間を使ってやっていることである。ただし,学者は超人的あるいは変質的にこの読み書きをやっていて,読み書きの鍛錬を先導する役割もある。ものすごい臭いのする発酵食品を「旨い」と言って頬張る人間が信じられないのと同程度に,他人の人文学はなぜそこまで楽しいのかは分からない。それが普通だ。

私が学部で勉強していたとき,この単調な作業を一生続けるのかと思い,つい身震いした。小難しい文献を下線を引きつつ読み,小さな問いの数々を空白に書き込み,要約文をノートにまとめて,自分なりの分析を加えてみる。そして授業で他の生徒と討論。討論が終わったら,論点と論脈を自分の分析に対向させ,自分の問いをさらに膨らませる。そして出来ればだが,再度文献を通読する。これが精読の基本作業である。これを一生やるのにも,さらに工夫がいる。

この学習サイクルを気をつけて見てみると,くどいようだが,読むことと書くことの均衡がとれているか,ということが一番重要である。よく理系に進んだ友人が,歴史の暗記は殊にしんどい。文系は暗記ばかりしているのか,といった疑問をぶつけてくるが,少々気障に聞こえようとも,私は次の返答方法が好きだ。「歴史は記憶するものではなく,記憶にかんする学問だ」ということ。このことは多くの高校生が勘違いしているし,高校教師さえ,受験の歴史の悪弊ゆえか,思いっきり教えることが出来ていない。学士院にいるような大先生が,学界の政治的バランスを考えつつ200ページほどのいっさいの一次史料の出典を省いた教科書を書き,高校の生徒はそれを試験の答案用紙の上に再現していく。(これをなぜ歴史教育というのだろう。)全然興味がない人だと,あの事実の羅列は意味不明な暗号で,それでもあの大量の固有名詞を分からないと文句垂れつつ,テスト直前にノートに書きなぐって覚える。これはとてもしんどい作業だ。(解決方法はあとで述べる。)

 

知識のインプットがしんどいというのはある意味,生理的現象だろう。暗記というのは扁桃体と海馬というところが行っているらしいのだが,痛みに関係するらしい。なにも知らない赤ちゃんが,蠟燭の火に触れて「熱い」と思い,「二度と火に触れないでおこう」と暗記するように,扁桃体は生理的なストレスを受容し,海馬はそれを知識として蓄積する。要はこの世の全ての知識はトラウマ(心的外傷)なのである。よって,記憶というのは,記憶しようと思ってするものではなく,「忘れたくても忘れようがない」ものだ。人によってその記憶すべきものは本来違うはずなのに,みな画一的に教科書を覚えさせるような方法では,原理的にその歴史的な知識ではなく,教科書で学習したことがトラウマになってしまうという,笑えない冗談のようになってしまう。

 

そのためにアウトプット(「書く」あるいは「話す」作業)が歴史のみならず人文学では必要だ。今の高校生が可哀想なのは,このアウトプットをほとんど許されないからである。よくある論述試験(300-400字)も結局,事実の羅列を期待されている。トラウマや多くの心的エピソードを処するためにとられる手段は「対話」であり,実際に心理カウンセラーがやっている療法も時間を制した日常会話である。書き,そして話すことは,だから,読み続けるために必須なのである。ユーモアに転化できるとなおのこと良い。笑い話というのは他人に話すために覚えておける。そして,高等学校でも教師の無駄話のほうが生徒は覚えているものだ。だから,読む時間と書く時間,両方とも要するし,これらのバランスが崩れると,精神に変調を来すことがある。

 

授業準備以外の残りの時間は自分のプロジェクトのために充てる。だいたい今は電子ジャーナルが主流で,私もよくJSTORやProQuestを使っているが,ジャーナル読みの基本的なコツは印刷をしないことである。ワードプロセッサを小枠にして開き,通常のようにノートを取る。やはり基本は変わらない。まずは完全な文献目録のための出典表記を完璧にしておいて,その下から該当ページを付記しつつ,箇条書きを施していく。ノートで一番大事なことは,自分の分析と他人の論理を混ぜないということである。あとでクレジットを確保するために,面倒であっても出典をノートに毎度書いた方が良い。こうして書き留めたノートがすぐに役立つことはないだろう。しかし,1ヶ月後のある日,かならず既視感となって戻ってくる。そのとき,ようやく読書が知識の蓄積として実るのである。

 

この「読むことと書くことのバランスを考える」という教訓は,スランプに陥ったときに非常に有効なのだ。誰にも調子悪いときは存在し,症状としては「字が読みづらい」「書こうと思っても,なにも思い浮かばない」「言葉が訥々とする」「他人のしゃべり声が不快だ」という感じ。勉強以外にも食べ物や運動も考えた方が良い。食べ物はやはりラーメンばかりではいけないし,有酸素運動は一週間に3回以上した方が良い。アスリートのように,アカデミシャンにも生活の基礎的な縛りが必要である。(3節にて詳述)

 

(2)哲学,歴史,文学の基本的な違い

 

哲学と歴史と文学は基本的に「読み書き」という意味でつながっている。大体これら3科目の教授室に訪れると壁一面,書籍で埋め尽くされ,教授はどこにどんな本があるのか見当がついているものである。基本作業も前記のように変わらない。精読作業ではかならずノートを書き,その蓄積をもとに論文を執筆する。では,なにが異なっているのか。人文学には一次文献と二次文献という考え方がある。いわゆる原典と研究書の別の言い方だ。この哲学・歴史・文学の違いはこの一次文献の取り扱いの違いである。よって,たとえばドストエフスキーの『罪と罰』で哲学論文,歴史論文,文芸批評論文,それぞれ可能である。おおよそ,哲学者にとって文献は「高見台」,歴史家にとって文献は「材料」,文学評論家にとって文献は「芸術作品」である。そして,文献の使用数は必ずしも論文の質を規定していない。

 

哲学にとって材料は必要ない。他人の意見なんて「あるだけ邪魔」ということもある。よって哲学者にとっての読書は「ステップ」である。何かについて読書によって知識を得ようという態度で哲学など出来ない。読書は単に取っ掛かり探しであることが多い。待てよ,この世にはたくさんのプラトン学者,カント学者,マルクス学者はいる。そう,ある思想家の解釈で一生費やすこともある。しかし,それは哲学史や思想史の仕事と呼ぶのが妥当だろう。わたしが本当の哲学者の文章を読んだという感想を持ったのは,カントの『純粋理性批判』だったと思う。読んでいたのがちょうど学部一年生のとき,福音主義者のような宗教教師に反感を持ち,なんとかアカデミックにやっつけてやりたいと目についた本を濫読していた際に出会った。自然神学の反証を読んでいるとすこぶるファイトが湧いた。18世紀のプロイセン(今はロシア領)でこれを発言したらもっと敵を増やしただろうと思う。当時の神学者が「あるとあらゆることの原因は遡れば神の意志が関わっている」と主張したのに対し,カントは「じゃあ遡って見なさい」と言う。「因果は遡ることには遡れるものだが,それを神だと貴方が主張なさるだけで,神なんていうものの一般的証明をなにもできてはいやしないのだ」と,痛快であり透徹していた思考に惚れ込んだ。カントは私の暫時のヒーローだった。

 

そして,歴史は「記述」が軸の学問である。よく言うように,「歴史から教訓を学べ」「歴史を繰り返すな」ということは歴史を学んでもいっこうに分からない。人間が正しかった覚えが歴史上ないわけだ。そして単一の歴史などなく,歴史というものは「書きよう」によるものだ。このある時代の「書きよう」の研究を一般に歴史学という。作業の流れは基本のものを依然として踏むが,一次資料(史料)の分析は歴史の材料である。ある紙切れに残されたメモを読み,誰が誰に何のために何を伝えるために書いたのか。そこから導かれる人間の過去の姿とは何か。昔,何があったのか。また,それらをどう記述するべきか。歴史の純粋な疑問とはそういうことである。歴史学の博士論文を読む機会が多いのだが,確かに取り扱っているテーマは特定されて狭い。しかし,その狭い狭い分析的な,覗き穴のような対象を読んでいくと,大洋のような広がりを持った風景がある。それが本当に美しい。単に4世紀の思想家をするのに4世紀の言語と文化を学べば博士論文が書けるわけではない。こういった「時代を書く」という作業には,大量の文献のゴツゴツしたコラージュではいけない。世界文化村のようなジオラマには,時代観を感じない。やはり人類3,000年以上の歴史にきちんとした想像力がなければ,たぶん4世紀の重要思想の価値はほとんど読んでも分からないだろう。その道のプロは文章の内容だけで何世紀半単位の思想かをおよそ見当がつく人がほとんどである。煌びやかにも悲愴的にも書けるわけだが,叙述に責任を持つための研鑽のため,歴史学者は「時代」を知るものならば,なんでも手に取ることを選びゆくことだろう。

 

そして文学が一番時間がかかると思った方が良い。文学は一次文献を「芸術作品」として扱うのである。芸術作品,というのは「ただ言葉がそこにあることを愛する」という第一次的な美を扱う。もう今までの文章力でとうに現れていそうなものだが,私は文学的な素養というものに惹かれたのは大学生になってからである。正直が一番ということで,私は中学のときは小説を読むのが一番苦痛だったことを告白しよう。小説を読むというのはまことに時間がかかる。体力や知力が要る。しかしたとえ最初の30ページで頓挫し,終わりまでが絶望的となっても,焦ってはいけない。人と較べたり,親や教師に強制される読書ほど苦痛なものはない。ただ,同窓の中ですごく文学の「勘」がある人は道ゆく風景につれて,軽やかなナレーションが口を伝って出てくる。良い言葉を話すことに彼らは歓びを見いだしている。とても彼らには近づけない,という畏怖の感覚も出てくる。わたしはこのように長らく,文学というものは才人がやるものだと思っていた。ここで私の読書体験の希薄さを開陳するようだが,私の文学体験は宗教の勉強をしてようやく入り込めたところが大きい。現代文芸のやりたいことがテンで分からなかったのである。だが,聖書というのは,法典や預言のところ以外は全て物語であって,その物語からの解釈を逸話(エピソード)としてみんな知っているところがある。バガヴァット・ギーター,オイディプス王オデュッセイアなど,私はもっぱら学問の型をつける段階で「資料」として読んで,それが面白かった。(これはいわゆる邪道なきっかけで聞くに堪えないが)私にとって,文学の時間は人間の「心の標本」を見る時間だった。心の個性を最大限に引き出し,共感を得る方法を探る。まだ未熟なものがこれ以上文芸について語るのも罪作りなので,冗長な文句は遠慮するが,人と較べたらだめだ。孤高を行こう。だって,国語や文学の試験の点数ほど不正確なものを考える方が難しい。

 

以上は,人文学の主要な科目についての概要である。私の能力ゆえに,記述に偏りがあることを認めておかねばならない。ただし,なんでも学部時代にやってみたという感覚を記しておきたくなったのである。ただ,神学部はそもそも,人文学部さえも疎まれる時代に生き,そして歴史家を志す今言いたいことは,こんなに役立つ学問はこの世にない,という一点である。述べたいことを簡約にまとめ,信頼に足る情報をより効果的とするため整序し発信し,知的財産を敬愛する態度は,コミュニケーション沙漠には受け入れられないというのか。

 

私は寮で4年間同室だった親友,サファールがいる。タジキスタン出身の同い年で,大学2年生の夏,ロシアを一緒に1ヶ月ほどかけて旅行した。アメリカの,悪く言えば短絡的,よく言えば社交的なコミュニケーションとは違い,首都モスクワの学生もサンクトペテルブルグ行きの鉄道で出会った親子も,さすが詩の国,詩情あふれる言葉の使い手だった。当然文化のイディオムによる違いにもよるだろうが,思っていないようなことを言わない美徳がある。訊きたくもない「ハウ・アー・ユー」を濫発して気分を害するようなことはないし,教養のある人ほど,礼節を重んじる。見ていると,地下鉄や鉄道で老若男女問わず,読書に耽っており,日本の通勤電車を思い出して,とても嬉しかった。当然,血気盛んな若者が大音量のロックを携帯で鳴らしたり,公衆で乱暴や差別的発言をしたりする輩はどこにでもいる。だが,ロシアのスカーフを巻いたおばあさんが3人寄ってたかってそういう輩に説教をし,驚くことにすんなり受け入れるのである。(実は公安当局なのではないかとさえ思う。)こういった場合,日本やアメリカだったら余計暴れ回る心配をしなくてはならないが。この風景をみていて,人文学の没落を特に社会正義の側面から危惧する。社会に生きるということは文脈的なもので,大切なことは何も実際に書かれていない。だからこそ,言葉で説明し,朗々とし,文化を護るひとびとを私は尊敬している。

 

(3)人文学と生活リズム

 

つまるところ,自分自身をはぐくみ,研ぎすませるのが人文学を志す目標であったりする。なにかの知識を社会に役立てようという即戦力・専門知識には到底なりえない。したがって,語学などを除いて,人文学を知識として伝授することは難しい。「読め!書け!」である。ただし,こういったことを教えるのはどこか野暮である。読み,書くことは教えられなくても,自分で頑張って身につけなければいけないことだ。「どうやって読むのですか。どうやって書くのですか。」という種の質問は誰もが心に抱いている。誰も答えられないのがオチである。それどころか,そういうときには,答えが心の中に既に現れていることがある。やり方のコツは時と場合によるし,そもそも自分で見つけた方がいいことが多い。そのヒントを探しに明日にでも本屋に立ち寄ったらどうか。筋力増強や長距離走とその鍛錬方法が似ているのは,継続がものを言うことかもしれない。本節で紹介するのは,やや個人的なものであるが,筆者本人も模索中ということで勘弁願いたい。継続のコツは知的飢餓/憧憬を積極的物理的に作り出すことである。

 

情報統制。ビッグデータを扱える時代だからこそ,信頼に値する情報を選択する能力は必須であって,欲を言えば,正確に発信する能力は生きる希望につながる。私は数種のメディアに偏りなく接することを心がけている。ここで私は新聞を二紙以上購読した方がいいと言っているのではない。クラシカルにノートとペンと原稿用紙というときと,SNSなどで周辺の情報とつながっている時間のバランスをとるということである。私はラインを使っていないが,あの巨大スタンプ集めの流行には乗り遅れた。今は絵文字を使っていないメールは怒っているという印象さえ残すらしいが,練習のために私は絵文字を使うのをやめている。それと同じ要領で「とても」「すごい」という言葉を使わないようにしているが,とくに語彙のレパートリーが増強した。文章の言葉に奥行きをもたせるために,簡単な言葉を理由なく使わない。それと同様に,インターネットに触れないでいる時間は人生に必要だ。Wi-Fiを切る時間を2時間から始めよう。時間がゆっくり流れ出す。100ページ読んで,ああまだ1時間しか経ってないのか,と嬉しくなると思う。(読む速さは考えていません。)

 

経済統制。私は書籍にかんして,両親に申し訳が立たないほど浪費している。よって,どの口がいうかという話だが,大学院に入ってから,ここからが本番というときに,自分の家庭がどれだけ無理をしてきたかを悟った大馬鹿者なのである。それなりにいい成績をキープして入りたい大学院に入ることはできたが,大学生のときに感じていた「学生さん」という感覚は大学院では全くない。私の周りで,大学でも親類からの援助を受けられず,器用に倹約している人たちを知らなかったわけではないが,無償の奨学金が出ていたこともあって,真剣に考える機会が物理的になかった。知的に貪欲でありつつ,物資を倹約するというのは難しい。倹約は学習以上に理性を行使する。私も自分なりにお金のことを考え始め,それなりに節約しているが,総合的に見て,生活は改善している。過去の自分を責めるつもりは毛頭ない。今,堅調に学習環境が保てているのならそれはそれで良いと思うけれど,早起きしてできるだけ早い時刻に一日分の食事を自炊して,身体を日中大きく使って,緑茶をあおり,夜8時間ほど眠ると,生きる喜びを感じる。これを家族のために毎日やっている方々には敬服するほかないが,経済的に必要なモノだけで暮らす,というのは学問の継続と大いにつながっている。

 

情報と経済統制という,なんともコミュニストな考え方だが,倹約は購買行動だけではなく,最後まで使い切ることにミソがある。冷蔵庫のものを腐らせないために三日間同じ物を食べる,書籍を読み通すまで,他に手を出さない。何でこんな簡単なことを今までやってこなかったのだろう。自省の念は尽きないが,石の上にも三年というからには,なにか目標を見つけたい。

 

日本に生まれ育って,私が幸せ者である理由は,質実剛健の精神文化がきちんと根付いていることである。私は恵まれているというのを言葉では分かっていても,食っていけないということは体感しなければ,見当がつかない。ただ学費が想像以上に高く,考えざるを得ないのである。ただ,こういう物質欲はカラダを作って,労働することで結構紛れるものなのだ。そしてそういうとき,知恵もよく働く。野菜を食い,走り,本を読む。今はしばし,そういう自分に陶酔しなければやってられない。ああ,そうだとも。私は無知で愚鈍で大袈裟かもしれない。ただ人生と格闘するべき時間を過ごすことは栄誉だ。どんとこい。