はじめに

2018年6月4日 最終更新 ・ 赤枝 進一

 

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赤枝進一はヒョンなことでブログなるものを始めることにした。紀貫之が「おんなのすなるにき」と言った程度に,私は自分がブログをすることになるとは夢にも思わなかった。理由は2つある。自分に時間がないと思っていた。そしてもうひとつは,自分のことを語ることにあまり価値を見いだしていなかった,という点である。いや,時間は作るものだろう。そして,私ができるだけいま書けることを残しておきたいのは,やはり,一般的な書く動機と同じく,抽象的にも思われるかもしれないが,「不安」な感じがするから。不安にはカタルシスが必要だ。そして不安は書き手にとってもっとも美味しいペーソスである。 

私は小学校の頃から実名で発言することにこだわっている。だいたい,私が小学校にいたころというのは2000年代。あだ名で呼ぶことは禁じられた。ただ他者に強制するほどではないとも思う。名前にコンプレックスがあったり,昔は字画や名字との相性によって改名する人もいたりしたくらいだから,親の命名に感謝しなさいといった,奢った態度はとれない。快い,と判断できる名前を一貫して使うのであれば私は立派なことだと個人的ながら信頼している。 

即ち,わたしはできるだけフェアで気品ある意見発表の方法を長らく探していた。ながいことツイッターをやっていて,やはりそうとう荒っぽい喧嘩に何度も直面した。だいたい喧嘩をふっかけてきたのは匿名でアイコンに旭日旗をつけているような人だったけれど,私はかなり頑張って言い返していたほうだ。なかなか難しいが,このブログではコメント等で性,性的傾向,障がいの有無,国籍,人種,身分,身体的特徴,出生地などで差別することを禁じたい。ブログでは対等な人間という立場でものを言いたい。そういう前提がなくてはそもそも言論の自由なんて生まれないだろう。

このブログの制約を述べた。この「縛り」というのは,大事なことだ。縛りがなければクリエイティヴとは言わない。ボールが1つあって,友だちが5人集まったとする。自分も含めて6人で何をして遊ぼうか。フットサルか,バレーボールか,ドッヂボールか,それは話し合いによって決まること。そして種目を決めたらルールには従う。このブログも開設当時である現段階ではただのボールである。そしてこのスポーツマンシップの宣誓を大前提として,少し種目を追々考えたい。

 

いま考えているのは次のメニュー。

(1)「語学ノート」

私は語学が好きで小学校の頃からロシア語,中学高校では現代中国語と嫌々ながら英語,大学ではドイツ語とラテン語,そしてなんというか不思議なのだが,いま大学院では古典ギリシア語の文献を一番扱っている。単語や文典暗記ついでに,すこし語誌や文献の話をしてみたい。わたしは翻訳家でも大学者でもないのに大仰な気もするが,好きなんだから仕方ない。語学にかんする小話も恥ずかしながら披露したい。

とくに私は四年間(2018年現在)もアメリカに遊学している。入学当時は,情けない英語だった。そして,多くの日本人の留学生にとって,はじめの一年間は数学と語学は救いの単位となることにちがいない。実際,わたしの卒業戦略においてドイツ語とラテン語の基礎課程は重要な役割を果たした。ひとつ目には,外国語は現地の英語話者とも張り合える科目の一つということ。数学や理科系の科目にも言える。とにかく,最初の一年間で文学や哲学を履修すると,確実に落第する。ふたつ目は基礎的な日常用語や一般的な言語表現の下地を塗り固めることができること。洗濯機に洗剤を2匙入れて,熱湯洗いに設定してスタートボタンを押す,ということが日本の英語教科書に記述がない。私はこの表現を英独対訳の会話集から仕入れることができた。そして最後に英語で古典語,とくにラテン語を勉強することはオススメの方法である。古代ギリシア語・ラテン語の文学的教養は,英文学の詩歌を読むときに着実なアドバンテージとなる。思い出してほしい。近代日本語(口語)の成立は欧語文献の和訳研究によって増幅した語彙に依ることが多い。それと同じように,ラテン語の英訳練習が英語表現じたいを確実に進化させる。英語の語彙の半分以上がラテン語源という事実も,いかに英語が西洋文明の継承に関わっているかの証拠である。

(2)「宗教学ノート」

現在,私は大学院で,宗教学のなかでもヘレニズム思想をキリスト教史の枠内で学んでいる。ちなみに大学もアメリカのリベラルアーツ・カレッジを卒業しており,宗教学,歴史学,神学,哲学,社会学ディシプリンを深く決めないで濫読した。一応,宗教学の学位を持っているのだが,学部当時もっとも長い間付き合いがあったのは歴史学教室だった。なのに学士の論文はヘーゲル記号論にかんする変な論文で,あまり良い評価ではなかった。何を書いたかって,「経験はいかにして知識となるか」というまっすぐな哲学論文のテーマだったのだが,英語で書いたこともあり,筆力が及ばない。今修士課程でやっているのはおおざっぱに言えば「後期ヘレニズム哲学の経済倫理と初期キリスト教会での受容」。日本の一般的な大学と違うのは,たぶん,学部時代から履修の自由度が高いこととプログラムの非決定性だろう。そのこともあってか,いわゆる学問の作法に無知だったので,大学院入学も試行錯誤の末であった。多少ヒューリスティックだけれど,学問論や読書体験などを記したい。

わたしが学部を卒業したのは先月のことである。ただ,一ヶ月間でやはり,いろいろな情念が湧き起こっている。アイビーリーグのように,そんなに世間的には自慢に値する大学ではないが,卒業には本当に苦労した。特に最終学年になるとまさに「命を削って」卒業したような心地である。私は日本の大学の内情をよく知らないのだが,アメリカのリベラルアーツ・カレッジは一年のはじまりから四年の終わりまで,とんでもない量の課題に追われる。もちろん,私の感覚にとってとんでもないだけかもしれない。一般的な学科の教科はだいたい3単位がもらえ,学生はだいたい一学期間5~6教科で精一杯の課題量である。私が一番好きだった歴史の授業形態を言えば,25%の読書課題(毎回学術書の1-2章分+一次史料の精読)の授業内討論への貢献,50%のショート・ペーパー(5-7ページのものを2~3本),25%のターム・ペーパー(12-15ページ)くらいの成績配置で,これが大体4年生レベルの一つの授業の課題量だろうと思う。4年生はこれを5つするから,一学期間にペーパーだけで150ページ書くことになる。苦労自慢は見苦しいのでこの辺にしておくが,量をこなさなければ効率を考える機会は無くなる。私の拙い英語ながらも,辛抱強く見守ってくれた全ての教授に感謝している。

私はもともと大学では哲学をやりたかった。高校2年生で精神を病み,大学受験もとにかく教科の少ないところをちょこちょこっと,私大の経済学部などを受けたが,あっけなく失敗。当然である。高校なんて本当に狭い世界であって,仲良くしていた人たちが次々と超有名大学に合格すると,やはり高校生なりに自尊心を失うのである。都市の予備校にも半年くらい通った。正直に言えば,この時点で私はいわゆる人生のレールを踏み外していたのだと思う。それは感覚的に言えば,まず最初に自分の人権や身分が失われていく感じである。この時点で十分親不孝だが,予備校の悪質な商売手法(違法性はないが)に感づくと,私は一日中予備校の椅子に座っているだけで倦怠感に耐えきれなかった。だが貴重だったのは,これまた親不孝だが,ジュンク堂書店での読書三昧である。ちょうど高2の終わりに東日本大震災(2011年3月11日)がおこり,日本中の知識人の間で「ヒロシマとフクシマ」というエポック転換が流行していた。そのころから特に,経済学に関する興味が減退したのである。日本は人口も減って経済規模は縮小するのは確実なこと。そして,震災対応で日本の行政や政治はとても脆弱だと思ったこと。やはり,この確実に訪れる日本の政治経済力の減衰をまともに受けるには,データサイエンスでは耐えきれないだろう,体系的に哲学などの人文学などをやって,解釈の問題として捉えないといけないだろう,と,学問的興味の方向転換をしたのである。

その体験と自分の高校生活の体験とを交え,アメリカの大学に手紙を送り続けた。これは無謀なことである。日本ではやはり,情報量が圧倒的に少なく,これもジュンク堂書店のおかげなのだが,栄陽子氏の『留学・アメリカ大学への道』(三修社,2010年)という本に出会い,実際に著者の主宰する留学斡旋の個人事務所「栄陽子留学研究所」へ母と一緒に足を運んだ。頻くいわれる語学留学やコミュニティ・カレッジを日本の高校生の進学先に勧めず,大学進学を目指し,そのためにサバイバルの方法を身につけるという方針が実に気に入った。書類を揃え入学審査官に郵送。結果,7校中6校は「英語能力に乏しいので断る」,と言われ,相当落ち込んだものだが,米国南部,ノースカロライナ州の中規模のキリスト教リベラルアーツカレッジから4年間,半額授業料免除での合格をもらい,他の道もなく,入学を決意。

問題はその大学は哲学科がなく,「宗教学・哲学科」,いわば宗教も哲学もそんなに変わりがないでしょうという立場だった。なかには,とても知的とは言えない告解実践,宗教的儀式を教室内で行う教師がいて,日本の公教育に慣れた私にとって心的トラウマになった。アメリカの南部は他のどこの世界の国と比べても,宗教的で原理主義的だと思う。わたしの高校は仏教の宗門学校だったけれど,信仰を強要されたことはない。若気の至りで,「ここは教会ではない。アカデミックなことが大学でなされないのは困る,」と,副学長など数名に自署の私信を送ったが,無返答。そこで宗教や哲学科の教員よりも,一般的良識のある歴史学の先生たちと交流を深めた次第である。そこでの4世紀のユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスを専門にしていた中年の歴史学教授に「思想史」という道がある,と教わり,一対一で集中的に手解きを受けることができた。

宗教学というのは19世紀のドイツの学問的術語(Religionswissenschaft)に始まる,若い学問であり,それに比べ,神学は4世紀以降,歴史学と哲学は紀元前のアテネ全盛のころの学問である。ユダヤ教および中近東の宗教はもっと古い。だが,宗教を学問にしたのは近代であって,そもそも「宗教」と信仰者は気軽に呼ばない。疑いえない「真実」に他ならない。宗教に始めに目を付けたのは社会学者たちである。なぜなら宗教の教団というのは今までで最も続いた組織的社会だからである。国家よりも強靭な組織力を解明したいと,有名な古典的な社会学者はだいたいまず宗教研究に手を付ける。そして,学んでみたなりに思うのは,宗教は国家よりも政治的であり,芸術・文学も引っ括めた文化的総体を表していることが魅力なのである。宗教を学ぶことは本質的にリベラルであると同時に,人間の全知を尽くした探求の軌跡を追うことでもある。声楽や器楽ではなく「交響楽」なのが宗教だろう。いま流行りの「学際性」は昔から宗教が固有に持っていた特徴である。

(3)「心技体ノート」

私は高校卒業後,渡米して米国の大学の正規課程に入学したのだが,精神的にまいって半年で25キログラム太った。高校時代は結構厳しい柔道部にいたこともあり,それなりに精悍な生活だったけれど,やはり文化環境の影響は底知れない。うつ症状も悪化の一途をたどり,一年間休養をとったこともある。経験のある方もいらっしゃるかも分からないが,抗精神病薬というのは本当に体重増加が著しい。病識のない人は軽い気持ちで「怠け癖」と断定するようだが,悪い冗談は止してほしい。深い深い暗穴に落ちていくような心境で,私の場合,日本語も含めて言語活動の一切ができなくなった。読解・発話・聴解・執筆すべてである。あらかじめ病状に個人差があることと私がメンタルヘルスの専門家ではないことを強く断っておきたいけれど,わたしも当事者のひとりとして,今も自己の生活再建に勤しんでいる。現在は主に食事・筋力トレーニングを中心に据えているが,各種ショートコースのマラソンみたいなのにも参加したい。そして睡眠。私は10年以上不眠症に苦しんできたが,やはり頭脳労働に睡眠は欠かせない。ここで,トータルに「生活」を考えなくてはいけない。そして他人と競ったりすればたちまち面白くない。それは私の哲学の主旨の一つでもある。

(4)「教育関連ノート」

私の夢を語ると,大学人になることである。そして,それは教育と研究に生きることを意味する。研究はまあ世間的に言えば個人的趣味と言っていただいて差し支えない。ただ,私は大学教育などの高等教育に携わるのことに一段と責任を感じるのである。とくにきっかけがあったとすれば,日本の高等学校を卒業して,最初の留学先だった米国南部のノースカロライナ州で出会った底知れない経済格差,とくにそれが顕著に現れる教育格差である。別に高等教育を無償にせよと何の根拠もなく言っているわけではない。教育がないとなるとどういうことが待っているのか。はっきり申し上げると,無法地帯での弱肉強食サバイバル生活である。みなさん教育と言うと,学校での学科試験偏差値,一般知能指数,語学検定,学歴,就職先でのスキル取得を思われるのかもしれないが,そういうことは私は気にならない。日本では確かにみな取得に関して血眼になっており,かつ,重要なのかもしれないが,私が気になっていることは基礎的な読み書きの訓練を通して得られる「コミュニケーション」の力である。

だって,考えてほしい。私はまあハッキリとした人文系や社会科学系の専攻だったけれど,大学4年間で学んだ知識は,アカデミアに携わらない限り,卒業後数ヶ月でほぼ消滅する。それはたぶん高校で不得意ながらも必死にやった数学や生物学の知識を大学で全く使用しなかった際にもあてはまるだろう。もちろん知識は認識能力内で暗黙裡につながっているものらしいけれど,やはり,基礎知識のキープは皆の悩みの点でありつづけることだろう。では,なぜ皆とりあえず大学受験をして高校生活の半分の時間を犠牲にしようとするのか。たぶん多くの人が大学卒業を,学部に関わらず一定の社会的信頼の沽券と認識しているようだけれども,果たして,大卒が社会的信頼の規準になる状態はこれからも続くのだろうか。私は社会的信頼規準はひとえに意思疎通のことであると思う。

間違えないでほしいが,大学は就職予備校であるべきだとは一言も言わない。ただ,私が大学の内情を何も知らないアホな一学生として今言えることは,大学で得るべきものは,基礎学力を通したコミュニケーションの鋳型をつくることであって,なにも法律の条文や経済理論を一生覚えていなさい,というふうなことはどだい無理であるということである。そしてもちろん,このコミュニケーションの鋳型はいっさい,アカデミアでも通じる。このノートではつねづね渾渾とする理想論のほかに,方法論の構想を書く。今来のアカデミック・シラバスなどを,私に頂いたものは大切にとってある。とくに情報化社会や人工知能の出現で,リテラシーによる知識階層はより大きく二極化することが予想される。人間が機械を超えて高度な知識を有するか,知識を全く重視しないかのどちらかとなると思う。やはり,何か特定のオーディエンスに対して,機知に富んだ発想を効果的に,フェアに伝達することはいつの世も変わらない学力だろうから,最も教えがいがあるといえばそうなのである。

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いやはや,ブログは無知をさらけ出す勇気がいる。私なりに考えているのは上記の4パターンであり,やはり,ひとりの人間である限り,論点が交錯していくだろう。私も文章を書く訓練の途上にあることをお分かりいただけるとありがたい。今書いていても,中途,不特定多数のオーディエンスが頭を過った。大学や大学院をアメリカで過ごそうという私と同じ境遇の人の他に,思想や哲学,歴史などの人文学が好きな人,語学好き,うつなど精神的疾患の経験がある人,大学教育に一家言ある人などである。とくに留学に関して,私は皆に勧められるものではない。かなりのエネルギーを要するし,国際交流だって好き嫌いあろう。そもそも留学はとくに特別な知識をつけるとか,エリートになるということでは断じてない。日本の基礎科学などのほうが,よっぽど進んでいる。ただ,アメリカなどでは,たとえば歴史や哲学の授業でナショナリズムを講じるのと違い,当事者がクラスに現前しており,学生は知的配慮を行わなければならない機会が多数ある。当然,奴隷制度についての授業で,祖父母に関係者がいる向きは面白くないだろうし,わたしは原子爆弾の国家計画の資料をまざまざとみて,日本人なんて彼らにとっては虫けらのような存在なのか,と悲しくなったこともある。そう,米国に限らず,留学の一番の意義はこの学びの「臨場感」にある。

この臨場感なるものをブログでは私の不器用なボヤキによって最も表現したい。そもそも,日本の大学は学科試験で上位の成績から入学許可が与えられる。そしてそれはフェアなことだと皆が思っている。みな受験するチャンスが与えられているのだから。それには同意する。当然,学科試験で問われなかった音楽的才能,身体的才能はあることはあって,それなりに同好会をやるのだろうけれど,スポーツ一筋の子や映画一筋の子,日本語がまったく喋れないが日本の大学でチャレンジしている人が果たして日本の大学にいるのか。そして,そういう学科試験で問われない努力も学科試験に傾ける努力と同等だといったい何人思うだろうか。アメリカの選抜規準は一言で言えば「おもしろい人生観」「バランス」「多様性重視」である。大学が生徒に対してもっとも応援していることは「自分の打ち込めることを見つけること。」やっぱりそれは入学後の学生の伸びに現れるらしい。卒業率の高い学校ほど学生の多様性を重視していて,そのことで生じるコストをアメリカ社会は惜しまない。いったい何人が,人生の楽しみを大学で見つけることができるだろう。

私の米国の大学生活は実に面白かったのだが,やはりその理由は出会った人々が面白かったことに尽きる。歴史の先生が牧場主で茹で玉子を教室に持ってきたり,歌手活動中の哲学者が公演活動で休講したり,いわゆる「ただの学者」はアメリカのリベラルアーツにはいない。当然,並外れた学問にたいする愛情は基本として,人間的に面白い。55歳からクラシックピアノを始めた古典学の教授は,あえて30代の若いピアノ学の教授に師事して,自宅で私的演奏会をやっていた。さあ,そういう人々を目にして,私はどんな人生を生きようか,と自ずと考えてしまうものである。とりあえず,大学院は競争の激しい修羅場なのかもしれないが,やはり魅力的な大人でありたいものだというのが感想である。そうでないと,だれからも信頼されないだろう。わたしの嫌いな言葉の一つに「リーダーシップ」があるが,やはりその前に人間を磨きたい。その目的にリベラルアーツはうってつけである。

さて,前置きが過ぎた。私の毎朝の数時間で,書けることを書く。ときどき英語も使うだろうが,日本語で書くときは日本の読者を意識している。人生の転換期の底知れぬ不安を随想録として書くことは迷惑千万だが,笑覧くだされば幸甚。何事もやってみなければ始まらない。月10本の投稿,各6,000字以上が目標だが,今までパソコンにどうも疎く苦労するかもしれない。たぶんそれもだんだん上達することだと思う。そうそう,最後に述べないといけないことは,アカデミアにとって最も大切な出典表記。私のディシプリンの都合,シカゴ・マニュアル(CMOSシカゴ大学出版部の出版物マニュアルで,思想や史学分野でのアメリカン・スタンダード)の「脚注/目録スタイル」が一般的だが,リッチテキスト形式にとっては「著者/出版年スタイル」が変換しやすい。とてもよくできたマニュアルなので,例を紹介しよう。本文中,他人のアイデアに拠った場合は,かならず括弧書きで著者の姓,出版年(あれば初版年も付記),ページ数をつける。そして本文末後にアルファベット順の目録を記す。このブログを引用される際もできるだけ,この表記を守っていただきたい。括弧書きで〔赤枝 2018〕を各引用文後に,そして文章のあとに,(例)赤枝 進一,2018年。「はじめに」(『シカゴ窓際見聞記』より)2018年6月4日最終更新;2019年5月3日閲覧。〈アドレス〉。といったふうに記してほしい。形式は問わないので要素を満たすこと。切にお願い申し上げる(この引用方法がなされたならば,別途私に断らなくてもいいです)。

 

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出典:栄 陽子,『留学・アメリカ大学への道』(東京:三修社,2010年)。

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文責:赤枝 進一(あかえだ・しんいち)。三重県四日市市生まれ。三重県津市,私立高田中高等学校で6年間を過ごしたあと,名古屋の予備校に在籍はしていたが,ぶらぶら駅前の本屋で読書に目覚め,たった2ヶ月で大学受験をきっぱり止める。その後,アメリカ合衆国ノースカロライナ州の中規模リベラルアーツカレッジ,メソジスト大学に渡り,宗教学の学位を取得(B.A. in Religion, magna cum laude)。現在はイリノイ州シカゴ大学大学院で比較思想史などを模索中。興味関心はヘレニズム思想,とくにエコノミーにかんする思想。テーマは「経済倫理を神学や哲学的伝統で基礎付ける」こと。