大学院入試の体験とその反省

わたしが学部でアメリカの大学を卒業した関係で,アメリカ国内の大学院に挑戦するほうがいろいろな便宜が立ったため,たくさん移り目をしつつも,アメリカの大学院を7~8校受けた。日本の大学院も,トップ校になればなるほど,研究設備と厚生が整っており,確かに母国語で学問ができることがどれほどありがたいことかを考えれば,日本の大学院生になるのも十分な魅力があった。そして,考えるべきは学費である。アメリカの学位授与課程の費用は多分,日本に家一軒が立つ。それを教育にかけられるほど,情熱と資源があるか,と言うのは,おそらく信じるしかない領域である。また,知り合いにはヨーロッパの大学もよく勧められた。ドイツなどは学費がほぼ無料であり,教育水準もとても高い。それに比べ高価と言われるイギリスにしても学費は今の半分で済むことだろう。ただわたしがアメリカに残る理由,すなわち日本とヨーロッパではない大学院に進学しようと思った理由というのは,アメリカで学問の職業を目指すのに関心があったからで,そのためにはアメリカの博士号をとるメリットは大きかった。今日は自分の大学院受験と,そこから学習したことを数点書いてみようと思う。

 私は文系科目の中でも比較的古い伝統がある学問をしている。神学や西洋の宗教史学は日本よりもアメリカ・ヨーロッパの蓄積がある。さらにアメリカは「伝統的すぎない」「権威主義になりすぎない」という文化的魅力があった。例えばホロコーストについての討論を日本でやったときに,目の前にユダヤ系の学生がいる機会というのは少ないのではないか。アメリカには歴史がないといった類のことは、私も周囲の人々に言われたものだが,その代わり,自分のルーツに特別興味があるということはある。皆,19世紀・20世紀に無一文,鞄ひとつでアメリカ大陸にきた人々の子孫であって,まさに名誉ある市民権をもとに多民族が統合しようとしている最中なのである。これらの事実は比類なき特殊な文化であって,成功・失敗問わず学ぶところは多いように感じる。こういう多様な文化の集合のような環境において,古い学問をすると,一種の奥行きが出て,ひとつの重要なアイデアについて物事に即した言い換えや説得が必要になる。こういう場で歴史をするということは恵まれているように思う。

 私の場合,大学院選びはあまり苦労しなかった。というのは,私は日本の高校にいたときからシカゴ大学に憧れているところがあって,大学でノースカロライナにいるときも,いつも心のどこかでシカゴに行きたいと思っていたからだ。シカゴのカリキュラムはとても面白くて,意外に思われるかもしれないが,「詰め込み専門教育反対」が設立理念にまでなっている(Boyer 2015; 74)。もちろん学部生の間は文系・理系に別れておらず,全員が,人文学・物理科学・社会科学・数学・生命科学を学年問わず履修しなくてはいけない。そのひとつひとつのクラスも多様で,高校生だましではない。学期は四半期制で,エンジニアになりたい人が「プラトン哲学研究」「マルクス資本論」を取ったり,あるいは弁護士資格を目指している人が骨格標本で骨の名前を暗記する,など,ちょっと日本では考えられない。私にとっては夢のような場所であって,自分も実は少し真似をして,母校で人文学専攻であるにも関わらず,物理学や社会理論を取ってみたことがある。だいぶ苦労したが,今までしてきた挑戦の中で一番思い出に残っているもののひとつだ。

 もうひとつシカゴ大学が優れているのは基礎研究である。日本でいう「読み書き計算」の基本をとても大事にしているのは当然だが,どの学部にしても理論派で,工科大学のような先端技術にはあまり力を入れていないということが特徴である。私の入学することになった神学部にしても,伝統的な宣教が行われている学校ではなく,「21世紀の宗教とは,神話が社会に与えるものとは,」という硬派な宗教哲学的な問いが中心となっており,長らくミルチア・エリアーデ,ジョセフ・キタガワ,など「宗教の歴史(History of Religions)」という概念のもと,シカゴ学派はなかなか現代の宗教学の理論面で大きく貢献してきた。それとともに聖職者養成コースもまた設置されている(Master of Divinity Program)。聖職者といっても,キリスト教徒のみならず,ムスリムムスリマユダヤ教徒仏教徒無神論者も入学しても良い。毎年15人という狭き門であるのは述べておかなければならないが,そういうだいぶ進歩的な校風であることは明らかだ。学校名も「School of Theology 神学校」ではなく,「神性についての学校 The Divinity School」という緩い領域設定で,伝統的な神学も設置しつつ,歴史学宗教哲学,宗教社会学文化人類学イスラーム学,アメリカ宗教学,宗教文学の中から全員が数講,選択しなければならない。私は大学一年生の時から,こういう問題設定の度量の広さに大きな魅力を感じていた。

 入学審査は確かに大変であった。アメリカではハイレベルな学校ほど手続締切日が早く,博士号コースなどは12月中旬,修士プログラムは1月上旬である。それまでに私の場合は研究計画,学習意思表明書,推薦状4通,成績証明,履歴書,論文サンプル,GRE成績,と途方もない書類(およそ30ページほどか)を,それも一番忙しい4年生の最初の学期に準備せねばならなくなった。これがなかなかの地獄で,大学4年の授業というのは卒業論文も含めて要求される課題量や質も高く,一旦授業を欠席したら遅れを取り戻すのが難しくなる。辛い辛いと文句を垂れつつ,私が結局提出した学校は8校で,胃に穴があきそうな毎日だった。もちろん推薦状を書いていただいたことは本当にありがたかった。当然,哲学論文を指導してくださった先生,学科主任の先生,個人指導教授,そして,私に思想史を紐解いてくれた歴史学の恩師のおかげで今があるようなものだ。そのような人々に推薦状を書いていただけるというのは,人生の宝である。

 一方,苦労したのは要求される英語力と各学校にある学閥色の検討である。結局,どの学校がどういう学校で,という情報はかなり見つけるのが難しく,最も結果に如実に表れる。入学志願書の書き方も誰にも教わることはなく,一般常識のようなものもなかった。しかし,最も手応えがあった方法を紹介しようと思う。まずは学術誌から学校を選ぶ方法である。私は学校リサーチの間に,『Political Theology(政治神学)』という雑誌に出会い,面白いと思うようになった。そこで目をつけたのは編集委員,顧問の一覧をネットで探し出し,各人の経歴を調べた。そうして編集委員のうち三人が同じ学校で博士号をとっていた事実が判明すると,その学校を調べるのが賢明ということになる。その学校が射程圏内にないということが判れば,他の学校でその雑誌に関わっている人でも良い。学術誌編集はかなり実力のある人しかできないことを考えると,この方法は信頼できる。

 もうひとつは自分の目で実際に見にいってみるということ。百聞は一見にしかずということで,アメリカの大学院受験ではかなり有効である。ウェブサイトなどで得られる情報はいいところしか分からない。興味のある教授に節度を持ってコンタクトを取ったり,学校案内を申し込んだり,自分で見て見なければ分からないことがたくさんある。その中でもお勧めしたいのがサマースクールでその学校を訪れてみるということで,実際その学校の授業を受けるのである。すると,求められるレベル,ペースが体感できる。大学周りの環境も分かってくる。時間と金銭が許せば,この方法はかなり信頼できる。そして何よりも,大学当局側が,サマースクールの時点である程度こちらを信頼してくれるために,話がうまくいきやすい。私は大学2年生のとき,別の大学でひと夏ラテン語のクラスを取ったが,今でも良い思い出である。

 そして,反省点も述べておかねばならない。アメリカの大学というのは国家の文部科学省のようなものが管理しているわけではなく,地域で近郊の大学同士を相互評価するシステムで質を担保している。そのため,学内のポリティクスをはじめ,学風も各学校各地域によって大きく異なっている。この点をもっと意識すべきだった。例えばボストン大学には宗教学科と神学科があり,自分は聖職者になる予定でなかったため,宗教学科に願書を出したのだが,この学科はある曰く付きで,ユダヤ教に関する研究以外受け入れないということがあったそうだ。そうならばそうウェブサイトに最初から書いておかなければ不公平のようだが,志願者は情報収集に勤しまなければならない。なお,自分の出願書類はボストン大学学内で神学部に転送,再審査されることになり,シカゴ大学とこのボストン大学神学部にのみ奨学金付きの合格をもらえることになった。このボストン大の神学部はちょうど自分の過ごした学部時代のメソジスト系であり,合格をもらえるバックボーンは偶然ながらもあった。日本から米国の大学に出願するのは,この情報量と政治的力学がほぼ欠如している点が難しい。

 もうひとつの反省点はGREという英米圏の大学院進学者に対する学力調査の準備をあまりしていなかったことである。とはいえ,僕はGREに関しては合格基準に些細な影響しか与えないと思っている。正直,数学は中3から高1レベルのもので自分には圧倒的に有利だった。英語は語彙ならびに読解力試験と分析作文の2セクションからなり,これが曲者である。私は結構分厚い単語帳を買ってきてパラパラとはやったが,普段の大学の授業があまりにも忙しく,対策に時間がかけられない。確かに受験したなかでも数校はGRE重視で,出願の3日後には不合格通知が届いた。皮膚感覚で特徴付けるのもあれだが,ニューヨークの大学群とカリフォルニア大学システムは選抜の第一段階でGREを用いて積極的に足切りをしているように思う。学生人口が多いため競争率が高く,入学審査にコストを掛けていられないところは民間試験にどうしても頼ることになる。一方,潤沢な資金がある学校は志願者の書く文章をきちんと読んでくれる。私はブランダイス大学に35ページの哲学論文を送ったが,きちんと3ヶ月審査に掛けてくれた。結果は不合格だったけれど,入学審査料だって馬鹿にならないのだから,誠実に評価していただける大学はやはり好印象である。

 分からないことの方が多いけれども,シカゴ大学に受け入れられた要因もまた数件あったと自覚している。まずは学部時代にきちんと語学と哲学に取り組んで,好成績であったことである。学部時代に取り組むべきことは志望学科の学問の基礎訓練にほかならず,そしてさらに方向性を持った知的関心があるかを成績証明から判断される。成績証明は一種の志願者の歴史であって,4年間の学びが端的に現れている。当然,アメリカのシビアな評価システムのうえでのことだから,日本の大学から志願する場合は,単位数も各種評価方法を考慮に入れる必要がある。だが,学部で何をしておくべきかという問いに対しては,基礎研究重視の大学院ならば,語学と哲学,理系であれば数理と統計の知識をじっくりコツコツ蓄えてきた人はやはり,いろいろな応用が効くものだ。さらに論理的で分かりやすい文章を書くことに習熟することと晦渋で複雑な文章を読み解く訓練は絶対にしておかなければならない。以前,このブログで紹介した「一次史料批判」は歴史学を志望する人にとって最も有効な基礎訓練であるように思う。この基礎修練という点においては,私は百戦錬磨の経験をしてきたと思う。もう一つは,すでに挙げたが,学校に実際訪問して関心のあることを教授と事前に語った経験である。これは米国内にいてもなかなか機会を得るのが難しいのだが,実際会って話した人は審査担当者の目に止まりやすい。大学院説明会にも積極的に参加すべきだと思う。

 ライティング・サンプルは良いとして,一番難しかったのは志望動機や研究計画の作成である。何が難しいかと言ったら「世界で誰も分からない・知らないことを私は将来この大学で研究します」といった表明であるからである。これはどうしても誰もノウハウを持っていない。誰もがぶっつけ本番で書くことになると思う。私が心がけたのは,自分の研究に興味を持ってくれる同年代の友達に向けた文章にしたということである。これが大学院の老教授に向けて書いたのでは非常に難しい。権威のある教授になると,志願者が自己防御に入ってしまい,「自分はこんなことをやってきた,こんなプロジェクトができる」という能力アピールに終始してしまうことがある。これは実はタブーであって,ここでは,特に人文系の研究計画はクエスチョンを提示し,深化させたアイデアを書くのが良い。クエスチョンが全人格的問いである一方,自分の心的傾向として,プロブレムを提示する過ちが多かったように思われる。クエスチョンとプロブレムの違いとはなんだろうか。短答できないが,要するに「私はこんな難問に取り組んでいる」というアピールよりも「私はただこういうことに納得できず分からない」という真摯な疑問の方が俄然,個性的な魅力を十分備えている。

 最後に,結論に代えてだが,アメリカの大学院受験ではついていく指導教授を探す姿勢よりも,自分の輝けそうな学校や学習環境で選ぶ方が良いかもしれない。それは日本の師弟関係とは違っているところであると思う。人間の興味というのは移りゆくものであって,むしろ,いろいろなことを考えた方がいいではないか。さらに私の好きな格言に「大学というところは教授についていくと人生を誤る」というものがある。老練な教授よりもその大学の若手(准教授)などがいきいきやっているところの方が良いのだ。この理由で,同年代ちかくの学問の仲間を探す方が良いというわけだ。それを見極めるのは至難の技かもしれないが,博士号取得後の就職率や准教授が論叢の編集に携わっている事実などが目安になりうる。自由な方がいい。学閥や人間関係でがんじがらめにされるのはまっぴらごめんと言ったところである。特に人文系では大学院からは教授というのは師弟関係ではなく水平なパートナー,同僚のような存在である。そして,叶わないと思っても,夢を持っていた方が良い。夢を持っていることで,人間というのは不思議なもので,無意識に情報をたくさん集めるようになるのだ。その夢に一歩近づくために,まるで人が変わったように食習慣や運動習慣においても変化が見られる。人は何歳からでも変わるもので,それほど大学院という学びの場はインパクトのある経験であるということをひとりでも多くの人に知ってほしいとおもっている。

 

参考文献

Boyer, John W. 2015. The University of Chicago: A History. Chicago, IL: The University of Chicago Press.